「面白い」と「楽しい」【16】
現在、巷では「PPAP」なるものが流行っている。
リズミカルかつ大衆も覚えやすいようなワードで瞬く間に日本どころか世界中でも人気を博し、全米ビルボードチャートにもランクインしてしまったかの動画。今年の流行語大賞もほぼ間違いないと言っていい。
ここで、かの動画の見方についてわたしは一言物申したいことがある。
「なんだよあれクッソおもんねー」
「すぐ終わって何のオチもなかった」
「なんだよPPAPって(哲学)」
PPAPに対するコメントのおおよそはこんな感じだろう。
確かに実際の動画を観れば、約45秒という短い時間で同じような単語をリズミカルに復唱しているだけで特にこれと言ったオチはない。「笑い」を期待していた人にはとんだ期待外れだったことこの上ないだろう。
しかしわたしは、ピコ太郎の肩を持つわけではないが一言言いたい。あれは「面白い(=ラフ)視点」ではなく「楽しい(=ユニーク)視点」で観るべきものだ。どうにも勘違いしている人が多いので一度言ってみたかった。
こういった、お笑い芸人が「楽しいものを見てもらおう」として見せるものが最近多い。
例えば、今年上旬に流行ったオリエンタルラジオの「PERFECT HUMAN」、去年流行ったエグスプロージョンの「本能寺の変」なんかもそうだろう。エグスプロージョンに至ってはまず我々は芸人ではないと本人たちが否定しているが。
これらはしばし「面白くない芸」としてネットで非難轟々だった。
わたしからすればあれらは「芸」ではない。いや、芸ですらないというわけではない。ひとつの「パフォーマンス」なのである。
我々視聴者には、そのパフォーマーを批評する時は、パフォーマンスが楽しいかそうでないかを判断する一種の「見る側としての責任」的なものがあるのではなかろうか。
評価する前に違う視点で見て、見当違いの批判を浴びせてしまっては彼らに失礼だ。言ってしまえば、サーカス団のピエロに向かって「こんなのお笑いじゃない」とけなしてるようなものだ。
長くなったが、つまり、PPAPが個人的に受け付けない人は「全然面白くない」とかではなく「全然楽しくない」とコメントすべきなのだ。
もっとも、あれが例えば「お笑い番組」や「音楽番組」などで披露されていたとなると、魅せるステージが違ってこちらが反応に困る分、向こう側の問題となってくるが…